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日本の中世から近世にかけての社寺仏閣の建造物はほとんどこの石場建の構法をとっており、幾多の地震、大風にも耐えてきた力強さがある。それは自然の石の上に柱を直に建てる「光つけ」と言う、柱の下を石の凹凸に合せて加工して柱を建てる匠の技で固定する束工法である。礎石は木の柱を立てる時に地面から離し、湿気からくる木の腐朽を防ぐために考えられたものである。
歴史的にみると昔は地面に穴を掘って柱を立てる堀立柱から柱と地面の間に礎石を入れる礎石建てになったのは仏教建築が伝わってからのことである。
在来工法ではコンクリートの基礎の「立ち上り」に土台である木材を横に置き、アンカーボルトで緊結し、なおかつ柱との接合部に金物と筋交を取り付ける「剛」造りになっており、地震によって力を加えられた時に傾く角度(層間変位角)が建築基準法で定めている角度の1/120rad(ラジアン)を超える揺れが来た時、金物の取り付け部が割れたり筋交が破損したり、倒壊の危険性を含んでいるのである。
しかし、伝統構法の建物はその反対で、傾いて倒れかけてもしぶとく粘り、元に戻る復元力がある。この弾性限界の数値は一般在来の木造住宅をしのいで高いのである。つまり、木の持つ本来の性質である粘りの「柔」造りがきっちりと効いているのである。この柔構造をもっとも発揮させるため、石の上に柱を建て、柱間を継ぐ「足固め」と「差鴨居」や「貫」の横架材が免震の重要な役目を担っているのである。
そこで考えられたのが、日本古来の免震工法である
「石場建足固め工法」が脚光を浴びてきた。 石から少し上の横材を「足固め」と言うしっかりした土台に代る木材で足もとを固め、柱との接合部は特殊な「仕口」で強固に固めている。もちろん金物など一切使われていないのである。
いかに「石場建足固め工法」が地震に強く免震力を発揮すると言ってもそれだけでカバー出来る訳ではない。足固めや差鴨居、貫などの横架材は構造力学的にも最重要な箇所であるが、梁を二重に載せる渡りあごなどの木組や小屋組、竹小舞を編んだ土壁の耐力、本格瓦を葺いた屋根などが相互的にリンクして始めて地震で倒れない伝統構法の家が出来るのである。 施工は縦の柱に足固め、差鴨居、桁の横架材を車知栓の仕口で緊結したラーメン(rahmen独語で額縁)構造をクレーンで吊り上げ墨付通りの礎石の上に載せ、先に設置してある別のラーメン構造とを横架材で継いでゆく。ここでは緊結箇所に金物は一切使っていない。
普通の基礎の立ち上りに土台(横材)をアンカーボルトで固定させ、その上に柱を建てる
工法と根本的に違い、コンクリートに固定された礎石(御影石)の上に直に柱を縦に建てる。柱の太さは断面欠損がない六寸(18cm)を使うのがよい。 木を横にすると接地面積が大きくなり、腐朽の原因にもなる。荷重で土台にかかる力も大きなもので長い期間ではダメージがある。木は縦に使う方が耐力的にも強く理にかなっている。柱と柱の間には足固めという土台に代る横材を渡し、長枘差しと車知栓で強固にかためられる。この構造材は土台に代る一番大事な木組で地震力を吸収し、逃がし、復元させる建物の最下部の要である。金物は一切使われない柱と足固めを継いだ下は礎石との間に空間がある。身近な例で言えば祭りに使う神輿の下部が同じような組み立てになっている。家の自重が加重されても耐える柔構造で且つ、免震力を発揮する性能を持っている。この足固めは成(高さ)八寸(24cm)、幅四寸(12cm)と最大限のものを使う。材質は檜である。 ![]() |
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